お金の知識

新紙幣・新硬貨はいつから変わる?新紙幣に採用された人物は誰?

こんにちは、マネ子です!

今回のテーマは「新紙幣・新硬貨」について。

2019年4月9日、政府は紙幣(一万円札、五千円札、千円札)と硬貨(500円玉)のデザインを刷新することを発表。

新紙幣に採用される人物の名前も公表されました!

  • 一万円札⇒渋沢栄一(裏は東京駅)
  • 五千円札⇒津田梅子(裏は藤の花)
  • 千円札⇒北里柴三郎(裏は葛飾北斎の富嶽三十六景)

いずれ偉大な功績を残した方々なのですが、「そもそも名前聞いたの初めて……」という方もいるかも知れません。

そこで今回は、新紙幣に採用された人物について紹介していきたいと思います。

新紙幣・新硬貨はいつから流通する?

新紙幣・新硬貨の発行時期について、財務省のホームページには「2024年度上期を目途。」とだけ記載されています。

具体的に何月何日かというのは、現時点では不明です。

そもそもなぜ新紙幣・新硬貨に変えるの?

新紙幣・新硬貨に変える理由について、財務省のホームページには以下の2点が記載されています。

新紙幣・新硬貨に変える理由
  • 偽造防止対策(高精細の「すき入れ」や最先端技術を用いたホログラムを採用)
  • ユニバーサルデザイン(指の感触で識別できるマーク、金額の大型化など)

財務省が公表した上の2つに加え、「タンス預金のあぶり出しを行うためではないか?」という見方も広まっています。

「タンス預金」とは、家の金庫などに保管されている紙幣や硬貨のこと。推定で約50兆円あると言われています。

もし新紙幣が発行されるタイミングで自販機や駅の券売機が改修され、古い紙幣がはじかれる仕様になってしまうということになると、「使えなくなる前に古い紙幣を使ってしまおう」と考える人が出てくること考えられます。

このように「タンス預金のあぶり出し」を期待して新紙幣・新硬貨に変えるのではないかという見方です。

次章から、各人物の生い立ちや功績を見ていきましょう。

一万円札・渋沢栄一

天保11年(1840年)2月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島に、農家の長男として生まれた栄一。

5歳の頃に父から読書を授かり、7歳の時には『四書五経』(儒教の経典)や『日本外史』(幕末から明治にかけてよく読まれた歴史書)を読んでいたといわれます。

20代前半で尊皇攘夷の思想にめざめ討幕計画を立てますが、結局は討幕どころか幕臣になります。

徳川慶喜の異母弟・徳川昭武の補佐役としてフランスへ渡航した栄一は、パリ万博を視察したり、ヨーロッパ各国を訪問する中で、ヨーロッパの先進的な産業・軍備に感銘を受けます

帰国後は、大隈重信に説得されて大蔵省(現在の外務省と金融庁)に入省

大蔵省時代には、改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定にたずさわりました。

1873年に大蔵省を退官した栄一は、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の頭取に就任

その後は実業家として、下記のような業務にたずさわります。

渋沢栄一の功績(ほんの一部!)
  • 地方銀行の設立を指導
  • 約500の企業設立(東京海上日動火災保険、王子製紙、東京証券取引所、帝国ホテル、サッポロホールディングス、キリンホールディングスなどなど多種多様!)
  • 養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)の院長を務める
  • 東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立

他にも、関東大震災の復興のために寄付金を集めたり、ノーベル平和賞の候補になったりと、挙げていけばキリがないほど多くの実績を持っているんです!

これまでにも彼の功績をたたえてきた安倍晋三首相にとって、渋沢栄一氏は新紙幣の「本命」だったと言われています。

五千円札・津田梅子

元治元年(1864年)12月3日、旧幕臣・津田仙の次女として現在の東京都新宿区に生まれた梅子。

女子教育に関心を持っていた父・仙のはからいにより、6歳で親元を離れてアメリカに留学します。

アメリカのジョージタウンで10数年を過ごした梅子は、英語、ピアノを学び始め、日本へ宛てる手紙も英語で書いていました。

18歳で帰国した梅子は英語教師として教えることになりますが、日本の風習や結婚観にはなかなかなじめません。

25歳のときに再び渡米した梅子は、日本女性留学のための奨学金設立を発起し、講演や募金活動をおこないます。

28歳で日本へ帰国した梅子は、教師生活を続けつつ、女子大学創設運動や女子英学塾(現在の津田塾大学)の創設にたずさわりました。

このように、津田梅子は日本女性の地位向上や女子教育に全霊を捧げた人だったんです!

ちなみに、誤解されることも多いですが、NHK朝ドラの「梅ちゃん先生」(堀北真希主演)や、「あさが来た」(波瑠主演)のヒロインと津田梅子は関係ありませんよ。

千円札・北里柴三郎

嘉永5年(1853年)1月29日、現在の熊本県阿蘇郡小国町北里に生まれた柴三郎。

家は代々、庄屋(今で言う「村長」のこと)を務める家系でした。

18歳で熊本大学医学部へ入学した柴三郎はオランダ人医師の指導を受け、医学の道を志します。

21歳には東大医学部に入学し、「医者の使命は病気を予防することにある」と確信。

予防医学こそが生涯の仕事だと決意します。

その後、30歳で内務省衛生局に入局。

33歳から6年間ドイツに留学し、留学中に破傷風菌の血清療法を確立しました。

「破傷風」とは、破傷風菌が出す毒素によって痙攣を引き起こす感染症。重篤な患者だと、呼吸筋が麻痺して窒息死することもある恐ろしい病気でした。日本において破傷風菌の報告患者数は1915人(1950年時点)、うち死亡者数が1,558人と、致命率の高い(81.4%)病気だったんです。

破傷風治療法を確立した業績で世界的な研究者として名声を博した柴三郎。

ドイツから帰国後、市立伝染病研究所を創立

翌年は、日本初の結核専門病院を開設し、結核の予防と治療に尽力しました。

1914年には、北里研究所を創立。多くの優秀な門下生を輩出し、細菌学・免疫学の分野に大きく貢献したのです。

北里柴三郎の人生は、「医者の使命は病気の予防」と確信した初志をつらぬいた人生だったと言えます。

まとめ:キャッシュレス政策があってもまだまだ紙幣の需要はありそう

今回のまとめ
  1. 新紙幣・新硬貨の流通は2024年度を予定
  2. 刷新する主な理由は「偽造防止対策」と「ユニバーサルデザイン」だが、「タンス預金のあぶり出しではないか?」という見方も
  3. 渋沢栄一は、日本資本主義の父
  4. 津田梅子は、女性の地位向上に貢献
  5. 北里柴三郎は、近代日本医学の父

新紙幣にデザインされる人物について見てきました。

インターネット上では「デザインがダサい」「なぜキャッシュレス化が進む今、わざわざ紙幣刷新?」などの声もあがっていますが、まだまだ現金の需要はありそうです。